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憲法の考え方
自衛隊を憲法に書き加えるとどうなるのか? 石川健治さんの講演
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映像配信ページ

2018年1月7日(日)北とぴあ、戦争とめよう!安倍9条改憲NO!2018新春のつどい

WEB&YouTube配信2018年1月17日、字幕版8月13日、テキスト8月15日、制作:映像ドキュメント.com

石川健治さんの「自衛隊を憲法に書き加えるとどうなるのか?」の内容を文字起こししたものです。
元映像の配信ページ(http://www.eizoudocument.com/0151ishikawa.html)
YouTubeでの配信ページ(https://youtu.be/fP_8Dt5wmpo)字幕つき(字幕ボタンをクリック)


(メインタイトル)

憲法の考え方
自衛隊を憲法に書き加えるとどうなるのか?
石川健治さん
(憲法学者、東京大学教授)

司会:東京大学の教授で憲法学者であります石川健治さんより憲法講演を行いたいと思います。それでは石川さん、お願いします。〈拍手〉

(石川健治さんの講演はじまる)

えー、皆さん。あけましておめでとうございます。
まぁ、なんと言いましょうか、いい年になるのかどうか、これからですね……不安もありますけれども。
高田さん、高田健さんから突然メールが入ってまいりまして、新春にこういう形でやりたいんだ、出てくれないか?というようなことを、言われた次第です。

タイトルも私が決めたわけではなくて、高田さんがつけちゃったタイトルです。〈笑い〉
(元タイトルは憲法講演「安倍9条改憲の危険性」)
私は基本的に、学問的な話しかできない人間ですので、こういうセンセーショナルなタイトルは、困ったものだなあというふうには思わないではないんですけども、基本的には高田さんはテーマを勝手につくってしまう人で〈笑い〉、11月3日のときも確かそうだったと思うんですけど、まな板の鯉かなということで、そのままにして今日に至っています。

で、テーマになってるのは九条加憲論について、これはどうやって評価するのかという評価の視点についてお話をするということなんだと思います。

現状をそのままただ単に憲法に書き込むだけだからそんな危ないことはない、そんな心配することない、というそういう宣伝がなされるだろうというふうには思いますけれども、それはそうではないのだという話をさせていただければ、今日は、一応役割を果たしたことになるんじゃないかというふうに考えております。

まずその大きな問題として、9条に、まあこれが3項なのか、いわゆるその9条の2なのか分かりませんけれども、そういう形で条文を書き込むということの意味を、より大きな文脈から考えてみていただきたいと思います。

1.明治維新から150年の歴史のなかの憲法

今年は明治150年、明治維新150年、150周年ということで多分、それも非常に盛り上がっていくに違いありません。
で 、そういうスパンで考えてみた場合に見えてくるものを、あまり時間をとらないように注意しながら最初の話をしてみたい。一応、新春企画でございますので、なんとなく新春っぽいテーマということで、明治維新150周年という視角からこの問題を捉えてみたいと思うわけです。

この明治維新150周年というのは、まあ基本的に日本における憲法の歴史であるわけなんですが、より正確に言いますと、憲法の歴史というのは日本では開国にさかのぼるわけです。
開国によって、まあ西洋と直面することを余儀なくされたわけですが、ご存じのとおり不平等条約を結ぶことになりました。
で、なぜ不平等条約しか結ばせてもらえなかったのかというと、日本は文明国とは認定されなかったからです。
国際法において、対等の権利・義務の主体となりうるのは、つまりまあ一人前の主体として認めてもらえるのは文明国であったわけですが、日本はそれに至らない、半分だけ文明国という意味で半文明国というふうに言われておりました。
結果として対等な条約は結んでもらえなかったわけで、とにかく、文明国になって不平等条約を撤廃するというのが、明治維新の課題であったということになります。

◎文明国になるために必要だった「憲法」

そして文明国になるために一体何が必要なのかということを当時のインテリたちは懸命に考えたわけですが、結局到達した結論は憲法をつくることだということであったわけです。

ただその場合に、少し考えていただく必要があるのは、その憲法という言葉の意味についてです。
西洋から受け継ごうとしたものですから本来原語がありまして、ヨーロッパ、いろんな言葉ありますけれども、たとえば英語に代表させれば、コンスティテューション(constitution)という言葉が憲法の原義であって、コンスティテューションというのを、日本語にどういうふうに訳そうかということで、結局、生き残った訳語が「憲法」だったということなわけです。
それ以外にも建国法とかですね、国憲とか、いろんな訳の候補がありまして、国憲ってのはかなり最終段階までトップだったんですけれども、まあ逆転されて、憲法という訳語になっていきます。
ですからコンスティテューションというのが一体なんであるかということが当時問題であったわけです。

コンスティテューションというのは直訳すれば「構造」とかですね「構成」とかいう意味合いであるわけで、この場合は、国家の構造を指しているわけですね。
日本にコンスティテューションがなかったのかといいますと、あったわけです。とりわけ、江戸期の日本、江戸幕府のコンスティテューションというのは参勤交代のシステムをはじめとして、極めて精緻に組み立てられた、世界でもですね最も精密な、高度なコンスティテューションであったというふうに言うことができるわけです。
この意味でのコンスティテューションは当然、日本にもあったわけです。
現在、北朝鮮だってあるわけですね。
しかし、文明国になるためのコンスティテューションはそうではなかったわけです。

文明国の要件としてのコンスティテューションというのは、たとえばフランス人権宣言が言っていますように、権利保障と権力分立。さっきの松尾さんの話にも出てきましたけれども、権力分立を持っているということであるというわけですね。
それがないコンスティテューションはコンスティテューションの名に値しないのだというふうに言っているわけです。
そういう意味でのコンスティテューション、これをまあ仮に近代的意味でのコンスティテューションと呼びますと、この近代的な意味でのコンスティテューションは日本にはなかったわけで、これをつくらなきゃいけないということになったわけですね。

どんな国にもあるコンスティテューション、とりわけ江戸期においては世界に冠たる高度な発達を遂げていたコンスティテューション。これはまあ、固有の意味でのコンスティテューションと呼びます。
で、その「構成」という意味でのですねコンスティテューションとは別に、もう一つの憲法をつくらなきゃいけない、というのが明治維新の課題であった、というふうに考えていただきたいと思います。

で、権利保障と権力分立というのはいったい何を言っているのかというと、結局、絶対的な支配、あるいは専制的な支配を排除して、必ず、支配者に対して、コントロールを用意するということにほかならないわけです。
たとえば、権力分立っていうのは、これは実権を握る存在に対して、対抗するもう一つの権力を用意することで、コントロールをするわけです。
いろいろな機会に、私は申し上げているんですけど、コントロールの本来の意味というのは、コントラ・ロールでして、対抗する存在、対抗する役割ということです。
コントラ・ロールを置いているか置いてないかが、近代的な意味での憲法であるか、そうじゃないかの違いということになるわけですね。
で、権力分立がある。そして何のためにそれを置くのかというと、結局、自由を守るためにあるわけです。
コントロール置いて、コントラ・ロール置いてですね、支配者が独走できないようにして、自由を確保する。
こうでなければ、近代的な意味での憲法を持っているとは言えない、つまり文明国の名には値しないんだという問いを、明治の先人は突きつけられたということです。

その所産が、いわゆる明治憲法、大日本帝国憲法であるということで、翻訳すれば、ちゃんと権利保障や権力分立が書いてあるようにできているということであるわけです。
このような歴史として考えてみますとですね、明治維新の歴史、明治維新150年というのは、つまるところ、我々が近代的意味でのコンスティテューションというものとどう取り組むか、という歴史だったというふうに言うことができるわけです。

◎2つの魂を持った明治憲法

しかし、この近代的意味でのコンスティテューションというのは、あくまで借り物でありますので、当然、日本古来の精神にこだわる人からすれば反発が生ずるわけですね。文化摩擦が発生することになります。
そして、たとえばその初期のかたちは尊皇攘夷運動でありますし、それがとりわけ水戸学のイディオムで体系化されていくということになります。

[字幕注]尊皇攘夷運動
江戸時代末期に展開された反幕排外運動。「天皇を尊び,外国勢力を打ち払う」という意味。水戸学はその思想的基盤になった

で、そういうまあ、尊王攘夷系の議論というのが、当然日本にコンスティテューション、近代的意味でのコンスティテューションをつくろうという流れに対しては、反動として起こってくる、こういうことになりまして、文化摩擦の様相を呈します。

この文化摩擦が刻み込まれたのが明治憲法ですので、したがって、これは確かに立憲主義を精神として取り込んでいるわけですが、つまり権力分立と権利保障を取り込んでいるわけですが、他方で日本古来の国体の所産であるかのようにも書かれている。
つまりどちらかではなくて両方の魂、二つの魂を持つ憲法としてできあがったわけです。

「二つの魂」というのはゲーテの言い方なんですけれども、この、いわば日本古来の国体というものと、そして西洋の文明というものとがですね、同時に入っている。どちらからも読めるという憲法としてできあがっていきます。
そこでまあ、明治憲法というものは、両方の側から綱引きの対象になっていくということになっていったというわけなんですね。
まあ、こういうかたちで日本の近代文明の流れというのは、進んでいくということになります。

◎文明国として認められたのだが、葬られた立憲主義

日本が文明国として認められたのはいったいどの段階かといいますと、日露戦争に勝ってのち、ということになります。
日本は結局、ロシアと戦って勝利することによって初めて文明国として認定をされ、不平等条約が最終的に撤廃されることになった。
これがまあ、日本のまさに明治国家のできあがり方ということで、これはいろいろな意味でその後尾を引くことになります。

つまり、立憲主義を取り込んだ文明国になるというのも、もちろん本当の課題であったわけですが、しかし、それを実現する過程で君主主義と両立させる、立憲君主主義を目指すということになりましたし、そしてまた、西洋列強との対抗の中で、軍拡に次ぐ軍拡を繰り返していく、身の丈に合わない軍拡予算を組んで、軍拡を繰り返していって、そして文明国にたどり着くということですから、軍国主義も日本の国の成り立ちの重要な構成要素になります。

同時に、日本はこの過程で、台湾とそして朝鮮半島を植民地にすることになりましたので、植民地主義というのも、まさに日本の文明国としてのかたちの重要な構成要素をなすことになる。
そこでまあ、日本の近代的意味での憲法、constitutionalism(コンスティテューショナリズム)、立憲主義ですね、これは、立憲君主主義であり、立憲軍国主義であり、立憲植民地主義である、それらを両立させるかたちで維持されることになったわけです。

しかしこれは必ずしもうまくはいかなかったわけですね。
大正期において、一時期立憲主義が優位になりましたけれども、結局1930年代に入ってから、軍国主義、植民地主義によって、次第に立憲主義が萎縮させられることになり、とりわけ1935年には天皇機関説事件が起こって、立憲主義はパージされてしまうことになります。

[字幕注]天皇機関説事件 1935(昭和10)年
天皇は国家の最高機関とする美濃部達吉博士の明治憲法解釈が「国体を破壊する思想」と攻撃され、美濃部は公職を追われ主著が発禁となった。

で、その結果わずか10年で日本は滅んでしまったわけですね。

◎立憲主義を根づかせた日本国憲法

この結果としてできあがったのが日本国憲法なんですが、この日本国憲法は、まず君主主義を切り離すことになります。
これが象徴天皇制ということですね。
そして敗戦と共に植民地を切り離します。
さらには、9条によって軍国主義を切り離すことになった。

つまり君主主義、軍国主義、植民地主義を切り離すことによって、初めて日本で立憲主義が根を下ろすことができたわけで、70年も持ったというのは非常に見事な成果だったという風に思います。

そういう意味で言えばですね、日本国憲法には、日本でとにかく70年間自由を確保した仕掛けが内蔵させられている、非常に複雑な仕掛けが内蔵されているということになる。
その中の重要な柱になっているのが9条であるということ、このこと自体は疑いようがない事実であるということなわけですね。

◎改憲論が起こるのは

しかしですね、この戦後の憲法の体制を覆したいという人たちも当然いるわけで、それは結局日本国憲法によって切り離された人たちということになります。
かつて君主主義や、あるいは軍国主義や植民地主義を奉じていた人々、それらがかつての国体思想、これも全体として日本国憲法あるいは日本のコンスティテューションから切り離された思想ですけれども、そちらのイディオムを使って、一貫して日本国憲法を攻撃し続けるという構図が、戦後不幸なことにできあがってしまいました。

この流れの中に日本の改憲論というのはあるんだなということになるわけですね。
つまり、憲法を改正すると同時に、立憲主義をなくしてしまう、というこの流れの中にあるということですね。
まあそういう意味では真っ当な改憲論にはなっていない。
改憲論者の中には、真面目な人ももちろんおられるわけなんですけれども、この流れの中で改憲論を持ち出すと、結局のところ、憲法滅んで、立憲主義も滅んで、たぶん国も滅ぶということになってしまう。

現在、この憲法改正をやろうという人は、もっぱらその安全保障の技術的な議論をするとか、あるいは憲法そのものを軽んずるとかですね、これまで機能してきた日本の政治システムというものに対して、真摯に取り組んでない人が改憲を語ってるということなんだと思います。
その意味でもですね、この問題をもう少し、俯瞰してとらえていただくということが大事である。これはまあ強調しすぎても、しすぎることはない。まあいう風に思っています。

で、まあこういうことを申し上げたうえで、今日はですね、以下2つほどのことを、お話ししておきたいと思っています。

2.9条に関する戦後の議論

1つはですね、9条に関する戦後の議論の特徴というものです。
日本国憲法ができたとき、まあ軍隊はなかったわけですね。武装解除されていて、なかったわけです。
それをまあ醒めた見方でいえば、単純にもっともらしく後付けしたのが9条に過ぎないのだという見方もあり得るだろうと思います。
これはあの、一面の真理ではあるわけですね。
しかし戦後の日本人というのは、これをもっと真面目に考えようとしたということであるわけで、そこで行われようとしていることを、まあ原理のレベルで鍛え上げてきたということになります。

まぁ絶対平和主義、非武装平和主義という議論は結局それだったわけで、この原理として、われわれが幸か不幸か引き受けてしまった9条というものを鍛え直していこうという営みというのは、これは、たとえば哲学者のカントに代表されるような、まさに、その西洋の精神の太い幹に連なっていく営みにわれわれも連なっていこう、そして、できるならばそれを引っ張っていこうということであったわけです。

[字幕注]イマヌエル・カント
18世紀のプロイセン王国(ドイツ)の哲学者。道徳の判断基準がキリスト教に置かれた時代に理性で考えれば誰でも道徳は何かを了解できるとしてその原理を示した。その政治論が『永遠平和のために』

◎カントの「定言命法」

そのためにどういうことがやられたのかといいますと、これはちょっとカントの言い方を紹介することになってしまいますが、カントっていうのはですね、道徳哲学を考える際に、2種類の命令というのを区別いたしまして、一つは定言命法という風に言うんですが、categorical imperativeという、要するに条件のついていない、たとえばこういう場合だったらこうするんだ、こうだったらこうなんだ、っていうんじゃなくて、条件抜きに無条件にこうでなくてはならないというふうに言う、そういう道徳です。

[字幕注]定言命法
カント倫理学における根本的な原理。無条件に「〜せよ」と命じる絶対的命法

で、もうひとつは仮言命法と申しまして、定言とは、定められた言葉と書くんですね、で、仮言の方はこれは仮の言葉と書くんですが、仮言命法、これはもし何々だったらこうなんだけども、もし何々だったんだったらこうなる。
たとえば、こうすればこうなるんだというような形で考える仕方です。
たとえば北朝鮮が核ミサイルを持つ、核武装したらこうするんだとかですね、そういう条件付きの命法というのが、仮言命法というようにいわれるものです。

[字幕注]仮言命法
「もし〜ならば 〜せよ」という条件つきの命法

いわゆる安全保障論議っていうのは、これは、もし北朝鮮が核武装したらこうである、こうするんだとか、中国が軍拡を進めていって国境を脅かしたらこうするんだ、という仮言命法の世界であるわけです。
安全保障というのは政策論議ですから、性質上仮言命法になる。

戦後の9条論というのは、定言命法を目指したといっていいと思うわけです。
ですからカントの営みに連なっているわけですね。
こうだから、もしこうだとすればこうするんだ、こういう目標のために、こういう手段を選ぶんだということではなくて、とにかくこうでなくてはいけないんだという議論を組み立ててきたわけです。
これは結果的には、一定の政治的機能を持つことになったというふうに思うんですけども、それはあとでお話しをすることになります。

とにかくそういうかたちで議論を鍛え上げてきて、政治哲学、道徳哲学の営みを続けてきた。良くも悪くもそういうものだったわけですね。
この定言命法というのは、ですから、多数の人々がこう考えるからとかですね、そういうことは関係がないわけです。
まあ端的にいえば世論とは関係がないわけですね。
世論が自衛隊を欲したとしても、9条からはこういう結論が出てこなくてはならないんだ、という議論をやってきたわけで、したがって、世論が一方では一貫して自民党を支持し、そして、その自民党が自衛隊法をつくり自衛隊を増強してきた中で、ぶれない議論をやってきたということになるわけですね。

これが、9条のとりわけ2項(9条2項=戦力不保持)を手がかりにした戦後の9条論の特徴であった。良くも悪くも特徴であったわけです。

◎悪評にさらされてきた憲法学者

悪い面からいえば非常に書生談義であると、現実を見ていない書生談義ではないかと批判され、罵倒されることにもなってきたわけですね。
それからまた、そういう書生談義をやっている憲法学者というのは、これは要するに現実を見ない人々だという評価、悪評がついてしまうことになりました。
まあ、ある意味で9条はわれわれ憲法学者のですね、社会的偏見の源泉になってきたということが言えるわけなんですね。

で、ある時期、だんだん憲法学者というのは、何度聞いても同じこことしか言わないので、論壇から干されていたわけなんですが、なぜかですね復活したんですね。
これが年の6月6日、いや6月4日でした。だったわけで、憲法学者3人が憲法審査会で安保法制に関して違憲だということを言った。

[字幕注]2015年6月4日
衆院憲法審査会で憲法学者3人(長谷部恭男、小林節、笹田栄司)が安保法案を違憲と断じた。

これでですね、みんながびびっている安倍政権に対して、臆面もなくですねNOを突きつける憲法学者って、一体どういう輩なのかということが、まあ急に注目を集めることになっていったわけなんですが、それまではとにかく、しばらく、あまりにも同じことしか言わない、壊れた、このレコーダーみたいな人たちだと、そういうまあ印象がついてしまった。

そういう偏見の中を私も育ってきたわけで、何度も悔しい思いもしましたけれども、そうやって生きてきたということです。まあ、そこをぶれないで頑張ってきたというところであるわけですね。
で、そういうまあ、議論の良くも悪くも特徴が、戦後の9条論であるということで、その定言命法が、この現実の、この東アジアにおける安全保障環境の変化に対して、つまり仮言命法に対して、どこまで力を持つのかということが試される格好になってきているというのが、まあ現在の流れであるということを、まずお話ししておきたいということです。

3.9条加憲論が通るとどうなるのか

そして2つめで、これはまあ、たぶん今日の本題ということになると思うんですが、これからお話しする議論というのは、ちょっとレベルが違う議論です。
でまた、総合的にすべてを見なきゃいけないので、これからお話しすることは、あくまで、ある局面に過ぎないということは、最初に申し上げておきたいと思うんですけども、まあ焦眉の急の問題ですので、それだけを取り出してお話しをしていきたい。

◎9条がはたした役割のひとつ、軍事力統制

その問題というのはですね、日本国憲法の9条が果たしてきた役割の一つ、あくまでも一つとしての軍事力統制という役割であるわけです。

日本の憲法9条っていうのは、先ほど申しましたように、日本の政治社会を初めて非軍事化することに成功したと。
そして、立憲主義を実現することになりましたし、それが、戦後の自由な空気を作ってくれたわけなんですが、それだけではなくて、あくまで日本の統治機構の一環をなしていたということです。
ここをまあ強調しておきたいわけなんですね。

◎軍事力統制─ドイツの場合

ここでまあ、しばしば対比されるのが戦後の西ドイツのあり方であるわけですが、戦後、西ドイツはとにかく動かない軍隊を憲法につくる、刻んだわけです。
普通の国よりも面倒臭い規定を憲法に書き込んで、いろんなコントロール、コントラ・ロールを用意して、で、使えない軍隊、弱い軍隊、動かない軍隊をつくりました。

緊急事態条項についても同様で、これも非常に激しい反対運動があったんですけれども、ぎりぎり成立した緊急事態条項というのは動かないものになっていて、現在でも動いていません。
ただあの軍事の方はですね、緊急事態条項とは違いまして、動き始めちゃったわけです。
最後の歯止めになっていた憲法裁判所というのが、このドイツ軍の域外派兵を合憲だと言ってしまったために、現在ではアフガニスタンとかですね、いろんなところに「平和維持」のために軍隊が飛んでいるということになってしまいました。
で、まあとにかく、これが一つの行き方ですね。動かない軍隊をつくるということです。

◎軍事力統制─日本の場合

日本の場合は、もうすでに軍隊がないという前提のもとで、それを永続させようというように考えたわけで、それが9条だったということです。
軍隊というものから正統性っていうのを剥奪した。
つまり軍隊は本来ないことになっている、というかたちで軍事組織からですね、その理由を奪ったわけです。存在理由を奪ったわけです。
で、この存在理由を奪う、難しく言えば、正統性を剥奪するというやり方というのは、これは権力統制の一つのやり方ではあるんですね。

たとえば、明治憲法の場合を考えてみますと、明治憲法ができる前に内閣という制度はもうできあがっていまして、初代の内閣総理大臣は伊藤博文であったわけです。
ところが、明治憲法の中に内閣という存在はないんですね。明治憲法は内閣というものを認めなかった。内閣から憲法上の正統性を剥奪したんです。
憲法上存在理由はないということになって、書かれているのは個々の国務大臣だけです。

でまあ、いろいろな説明が可能で、これを話すと何時間もかかっちゃうんですけども、まあ、当時言われた言い方としては、幕府をつくってしまうのを恐れたんだと。
内閣を認めてしまうと、これがまた江戸幕府に替わる新しい「明治幕府」になってしまうのではないかとかですね、いろいろな説明がありますが、とにかく内閣というものを認めなかった。
これがまあ明治憲法下の統治機構の弱点にもなっていったわけです。

統治がですね、常に不安定であったと、で、その内閣という憲法上認められていない場を巡って、軍部と、それから宮中と官界と政界とですね、いろんな人たちが、権力ゲームを繰り返す、いうことになっちゃったわけです。

そこで、戦後日本国憲法は内閣に正統性を付与した、正当性を与えたわけで、戦後の日本国憲法には内閣というのがちゃんと書いてあります。
それと入れ替わるように今度はですね、軍隊についての規定がなくなっちゃった。というわけですね。
ですから、こうやってこの既存のものから正統性を剥奪するというのは、一つの権力統制のかたちであるわけです。
で、期せずして9条はそういう機能を果たすことになってきたということ、これはまあ、強調しておく必要があります。

◎9条の光と影

冒頭にお話しましたように、私はまあ、9条が日本の戦後の立憲主義を支えてきたと。これがなければ恐らく70年持たなかっただろうという、その意見なんですけれど、もちろん物事には光もあれば影もあるわけで、いいことばかりではなかったと思います。

たとえば、9条があったおかげで、現実にはですね、存在する軍事組織を見て見ないことにしてしまっているのではないだろうか。
これはひょっとすると、軍隊を憲法外の存在にしてしまって、立憲主義的な統制の及ばないところに置いてしまったのではないか。
さらにはですね、憲法に反する軍隊が現実に存在するという事実に、みんなが慣れてしまって、立憲主義というものに対する信頼とか、あるいはその真摯さってものが、真面目さが失われて、ニヒリズムが支配することになってしまったのではないか。
そういう意味で、一言で言えば、9条は日本の立憲主義をダメにしてきたんじゃないかという見方もあります。
これは、俗に護憲的改憲論という風に言われる考え方で、私の同僚の井上達夫さんなんかはこの意見なんですね。

これはぜひ皆さん、お一人お一人で考えていただきたいのですが、9条は日本の立憲主義をダメにしてきたのか、それとも日本の立憲主義の前提になってきたのか。
これは、非常に大きな問題ですので、考えてみていただきたいと思います。

◎軍事力統制─ひとつのやり方

そのうえでこの立憲主義をとる以上は権力統制が必要である、権力分立が必要ですね。コントロールが必要であると。
で、コントロールをする際に、対抗する存在を置いてコントロールするということもひとつのあり方で、たとえば、内閣に軍隊を動かさせて、それに対して国会がコントラ・ロールとしてブレーキをかけるというのも、まあやり方です。

多くの場合は、開戦決定権をですね、政府から奪って議会が決めるというシステムをとります。
そうしますと、戦争ができなくなるということなんですね。
実際には、多くの場合シビリアンの方が好戦的ですので、国会が開戦をしないというかたちで戦争を止めるということはないんですけれども、そういう意味で、このシステムはあまり動かないんですが、まあよくそういうことが行われます。

しかし、そういうまあ既存のシステムとは違うかたちで、正統性を剥奪するというかたちでですね、まあ権力統制のシステムをつくったっていうのが、日本国憲法のあり方なんだ、というふうに考えていただきたいと思います。

◎加憲論の問題点

時間がありませんので、いくつか端折ってお話をさせていただきますけれども、まず第1にですね、加憲案の問題というのは、構成だけあって統制がないということです。

これまではですね、9条の例外として自衛隊を位置づけるという論法が、自衛隊の合憲性を支えてきたんです。
もちろん違憲論は有力なんですが、政府筋では自衛隊に例外をつくる、失礼、9条に例外をつくると。

この例外というのは常にあるわけですね。
たとえば人を殺したら殺人罪なんですけれども、その例外として、正当防衛の場合は違法でない。少なくとも処罰はされないということになっています。
そうやって、この例外をつくる論理というのがあって、その例外をつくる論理によって自衛隊を正当化していると。

だから逆にいうと、「正当防衛の場合には人を殺していい」という規定はいらないわけですね。
「人を殺したるものはこれこれの刑に処す」という条文だけで足りるわけで、それを、その例外の論理によって正当化すると、そういうことをやってきたと、こういう話であるわけです。

ですから、現在はあくまで例外としておかれている。例外であるということによってコントロールされているということ、これをまあ考えていただきたいわけですね。

ところが、これをその正面から認めると、自衛隊というものに憲法上の正統性を与えると。
これは、すでに法律上の正統性は与えられているのですけれども、憲法上の正統性を与えることになりますと、原則と例外がひっくり返ってしまうわけですので、今度は、正面からいろいろなかたちでコントロールシステムを憲法に盛り込まなきゃいけないということになります。

[字幕注」自衛隊には法律上の正当性は与えられているが
     憲法上の正当性も与えるとなると、原則と例外がひっくり返る
     コントロールするシステムを憲法に盛り込まなくてはならない

まあドイツに倣って、非常に面倒臭い規定を設けていくというのが、一つのプランということになるわけですが、今回の9条加憲案というのは、そもそも統制する気がないわけですね。
この、3項なのか、9条の2か分かりませんが、加憲だけしておいて、それに対するコントロールシステムを用意しようとしていない。
ここに現在の改憲論の地金が自ずと現れているというふうに考えていただきたいと思います。

構成だけしていく。そうすると何が起こるかというとですね、これまではコントロールされてきたのに、そのコントロールがなくなっちゃうわけですね。
もちろん、それは政府がコントロールしているんだと言いたいかもしれませんけれども、この点は必ずしも期待できるものではないというふうに思います。

◎9条方式をやめて軍事力統制をするなら必要な大前提

と申しますのはですね、なんかだんだん時間もおしているので、慌ててるんですけれども、もしこうやって、いわば9条方式をやめて、普通のコントロール方式に切り替えるということになるとすればですね、そこには必要な前提条件というのがあるわけですが、その前提条件が現在まったく整っておりません。

まずですね、普通の方式ってのは、いわば市民社会と、そして軍隊を切り離すというところから始まります。あるいは、市民的な統治システム、いわば政府と、それから軍隊を切り離すところからスタートするわけです。
そして、切り離したうえで、今度は市民的な権力の方を軍隊よりも上位に置くということをやります。
そして上位に置いたうえで、この上位にある、まあ市民的な権力が軍事的権力を統制する、コントロールするという、そういう順序をとるわけです。

これがシビリアンコントロールという風にいわれる方式で、逆に言えばシビリアンコントロールの前提は政・軍の分離なんですね。
政・軍の分離があり、政の優位がありですね、そして政による統制があると、こういう順序になりますので、シビリアンコントロールの前提には政・軍の分離っていうのは、大前提としてなくてはいけないわけです。

が、まあ辞めちゃった人の発言を、あれこれあげつらうのは、あまりよくないかもしれませんが、たとえば、稲田元防衛大臣は、選挙において防衛省の立場からも自衛隊の立場からも応援したいというかたちで政・軍の分離を無視していたわけです。

[字幕注]稲田朋美元防衛大臣
2017年6月27日、東京都議選の自民党候補への応援演説で「防衛省・自衛隊、防衛相、自民党としてもお願いしたい」。7月28日、辞任を表明。

つまり、シビリアンコントロールを語る前提がないんですね。
前提がないところに自衛隊を正統化してしまったら、何が起こるかっていうことです。
つまり、まっとうな軍事力統制を語る前提がまだ成立していない。
で、また、そういう前提を持っていない人たちが、改憲を動かしているということになります。
冒頭に申しましたが、これは結局近代的な意味でのコンスティテューションを知らない人たちがやっているからそうなるわけです。

これまではやはりその、まず慎み深い、まあ、いろいろ問題がなかったといえないとしても、慎み深い軍隊として国民に受け入れられるように努力してきた、これが自衛隊だというふうに思いますが、大手を振って憲法上正統化されて、で、なおかつ、その統制がまったくないということになった状態で、あとからですね、果たして政治がそれをコントロールできるのだろうか、ということがあるわけです。

大前提として、やはりいくつかの条件が整っていないこの段階で、この9条の加憲をするというのは、最も危険な提案だということになるわけですね。

◎現状追認にならない加憲論

現状を追認するわけではないんです。現状を追認するのではなくて、むしろ無統制状態をつくっていくという提案を、しかもこともなげにやろうとしているということなわけで、まあ結局、真面目に憲法のことを考えてくれていないということなんだろうと思います。
真面目に憲法のことを考えてくれていないということは、真面目に自由のことを考えてくれていないということになるわけですね。

4.外国から攻撃されたら─という批判に対して

最後にですね、もう本当に1分くらいで、一言申し上げておきたいんですが、こういう議論をやりますと、いや現実にですね、外国から攻撃されようとしているときに、国内の自由もくそもないものだろう。あるいは、経済的な状態がよくない中で、自由もくそもないだろうという批判が当然出てまいります。
これは、確かにひとつの議論ではあって、だったら開発独裁をやればいいということになるわけですね。
しかし、その結果として、われわれは自由を失ってしまうということになるわけです。
そのことを、どうここにおられる方がお考えになるのかということですね。それをまあ、お話したかったということになります。

学者とは、あまり同じことを繰り返したくない人種なものですから、あまりここでは言いたくないんですけれども、まあ、新春ですので一発目にやっておきたいという風に思うんですね。

◎ニーチェの言葉

それは、まあニーチェの言葉です。
『善悪の彼岸』というアフォリズム(格言・名言)に満ちた本の中で言っているわけですけれども、
「怪物と向き合うときには、自らが怪物にならないように心せよ」
という有名な一節があるわけなんですね。
怪物っていうのはUngeheuernという、恐ろしいもの、ぞっとするもの、そういったことですけれども、これと向き合うときにはですね、自分が怪物になってしまわないように注意しなければいけないというわけです。

現在、北朝鮮が問題になっています。
実際は、北朝鮮はもうすでに日本を眼中に置いていなくてアメリカとの戦いに入っていますので、まあ7月くらいまでとは全然状況が違っているという風に思いますが。
で、またその、アメリカとの戦いに、日本が巻き込まれつつあるという状況、安保法制によって巻き込まれつつあるという状況にあると思いますけれども。

その北朝鮮ていうのは、恐らく、やはり戦前の日本の似姿ですね。
日本の1930年代というのは国防国家、あるいは高度国防国家というふうに言われて、国防目的のためにすべて、まあ国民も、それから経済もですね、投入されていった時代。国防国家のために、すべてが、消費されていった、そういう時代であったわけですね。
で、この国防国家日本をモデルにして現在は北朝鮮ができていると。
かつて日本の支配を受けた北朝鮮が、実はかつての30年代の日本の似姿になってしまっているわけです。
そして、この脅威をもたらしている、いうことなんですが、それに対抗するために、われわれが怪物になってしまっては仕方がない、ということなんですね。

ですから、やはり自由を確保し、立憲主義を確保するということが、われわれにとっての大前提なのであって、国防国家に対抗するために、われわれが国防国家にならないように注意をしなくてはいけない一年の始まりではないか、ということを申し上げまして、拙い話を終えさせていただきます。〈拍手〉

(エンドタイトル)

憲法の考え方
自衛隊を憲法に書き加えるとどうなるのか?
石川健治さん
(憲法学者、東京大学教授)

2018年1月7日 北とぴあ
戦争とめよう!安倍9条改憲NO!2018新春のつどい

共催:安倍9条改憲NO!全国市民アクション、戦争させない・9条壊すな!総がかり行動

制作:映像ドキュメント.com


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掲載2018年8月15日